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こそっとぶろっぐ。

2024.04.27 Sat 「 [PR]
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2012.02.11 Sat 「 ほぼ一年ぶり、この一面鰤。ふだんの。
「ほら、ここの一面鰤だよ!すごーい、床の上でびちびち跳ねてる!あ、漁師さんが懐からおもむろに混紡らしきものを取り出して振りかぶって鰤を殴打してる!すごーい!ほぼ一面真っ赤だー!今日の夕食はお刺身だね★」

っていう会話をする新婚夫婦。

ないと思います。

冬は鰤じゃないですか、冬の刺身と言えば私にとっては鰤だったんです。

一年経っていろいろ変わりました。

私もそろそろ大分なんて言う読み方の迷いそうな県からもおさらばです。

もう「だいぶ」なのか「おおぶ」なのか「だいぷん」なのか「おおぷん」なのかはっきりして欲しいです。

「大分大分に慣れてきた」

って書いたらちょっと読むとき迷うでしょう絶対。

もう大分(だいぶ)という読み方があるので存在感も薄いことですしむしろ小分(しょういた)と改名してはいかがでしょうか。

ダメですよね。知ってました。

さて、そろそろ移住計画も最終段階に入っている訳ですが新たなる新天地はどうやら大都会、東京になりそうな予感です。

住民票とかなんかいろいろ移さなきゃ行けない感じなんでしょうか超めんどくさいんですけれど。

もう国民的に成り立っているんだから何処に住んでいても「自由だー!」って感じになりませんかねなりませんよね。

知ってました。

この5年間、通ったのは実質4年なんですけれどいろいろ学ぶことができたのは確かな様で。

でも変に知識つけちゃったもんだから人格的に正解なのかは非常に怪しい感じに仕上がってしまいました。

しかし、まだまだです。

知識も、経験も、恥も、後悔も、悲哀も、努力も、苦悩も、歓喜もまだ足りていない。

「何かになれる」とおぼろげに思っていただけの人生でしたが、そんなに簡単に行かない。

今ようやく、自分に何が足りないのかが徐々に分かってきた、という場所にたった気がします。

その上で、今の自分から次の自分になるには何が必要で実用なのか。

それを新天地で見極めつつ、「何かになれる自分」を作り上げていきたい。

そしてその自分を「誰かに評価」してもらいたい。

そんなことを思ったり。思わなかったり。

ここの文章は覚え書きの様で誰かをおちょくっているようで、結局自分の好きなように書いているだけなので他人様には何の有益な情報もくれてやることなどは出来ませんが。

もし何かの弾みにこの文章をかろうじて読んでしまったそこの貴方!

自分の好きな物にはなれない、なんて諦めてないで。

適当に、ずーっと、好きで居続けましょう。

中途半端に好きだと何にもなりませんよ。私もそうでした、アレは数十年前……。














来月は24歳の誕生日です。

祝え。
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2011.04.24 Sun 「 ついに規制、いつも寄生。(思考修正版)ふだんの。
ツイッターに寄生しながら生きて来た中で、初めて規制を食らいました。

ツイートしようとすると「ちょっとまって、お前呟きすぎ。数時間経ったらまたこいよカス」と言われたよ英語で!

これがいわゆる「廃人」の域という奴なんですね、感無量。

と、無表情で書き込んでいます。

久々の日記はさっきまでツイッターに書いていた意見が規制されてかけなくなったので代理でここに書くためです。

べ、べつに、読んでほしいなんて思ってないんだからね(棒)

ツイート内容をとうぎゃったで纏めようかとも思ったけど自分メモの域を出ないのでやめておきます。

さて、話していた内容に題を付けるなら「知識の価値観」みたいなものでしょうか。

私は知り合いの方とツイートの中で歴史に関する話をしていて、そのなかで相手の方が自分の知識を「受け売り」と表現したのが私の中での発端。

それ以前の前提として、私は以前大学講義にて「オリジナルとコピー」についてのレポートをまとめたことがあって、そのなかでの自分の結論は「現社会の大半にオリジナルは存在し得ない」というものでした。(まぁ、そのレポートはインタビューを踏まえて持論を展開したものにすぎず、先駆者の理論をあまり利用していない点で非常に微妙な意見なんですけど)

つまり個人的考えでは知識は受け売りであるべきであるし、受け売りの枠を超える知識などは存在せず、もし存在するのであればそれは「オリジナル」に近い新たな情報であると言える、ということなんです。簡単な話です。

で、その考えを踏まえた上で私は「あと知識は知っていることこそが偉いことだと思うよ。」と呟きます。

これ一言じゃ解りにくいので、意味合いを補足すると、「情報を自身の中に記録でき、それを自分の知識として利用できることは、偉い」、という意味合いになります。

で、これに対するリプライで「少佐は知る手段が有れば量は問題じゃ無いと言ってますが(`_´)ゞ」というものを頂く。

ここで言う少佐とは攻殻機動隊に登場する草薙素子というキャラクターのことで、私はこのキャラが大好きなんですけど、って私の趣味趣向は話がズレるので割愛。

でも、このキャラの世界観を話しておかなければいけないので、触れておくと、攻殻機動隊の世界では人々はサイボーグ化が進み、脳を直接電子空間(今で言う所のネットのようなもの)に繋ぐことが出来る「電脳」という技術が発達している世界が舞台になっており、少佐はその世界の中でも有数のハッカーです。

もっと細かいこと説明する必要があるのですが、取りあえずはここまでで。

で、先刻のリプライに戻ると、「知る手段が有れば量は問題じゃ無い」というのはつまるところ価値は知っている、記憶することにあるのではなく、それを知るまでの手段にある、ということであると。つまり、どんな情報を記憶しているか、ではなく、どんな情報をどのように引き出すか、ということになる。

私はそう考えたので「彼女らには外部記憶装置という手段が常に傍らにありますからねwでも引き出す手段としては今の私たちよりも遥かに迅速に行えるはず。だからそんな台詞も出てくるのだと思います。」と返答。(ここで言う外部記憶装置とは自分の脳領域外に情報を蓄積しておける外部装置のことで、つまりはPCのハードディスク、USBメモリの用なもの。)

まあ、私のこのリプライの返し方が既にズレてしまっているんですけど。。。

何が言いたかったか、というと、少佐自身も外部記憶装置の知識を用いている訳で、本質的にはそれは情報を記憶して、知識に昇華していることに変わりないのではないか、という風に思った訳です。

劇中でも、SAC最終話にてアオイと少佐が偉人達の言葉を引用しながら会話をこなしていくシーンがありますが、あそこの少佐は外部記憶装置を使いながら話しており、その後登場する荒巻課長も「お前達の会話は外部記憶装置無しではついていけないな」とぼやく。

ここから妙な仮説になってしまいます。(ので文体も硬めでお送りします)

彼らの世界の中で、知識となる情報は既に自身の脳みそに記憶するものではなく、外部記憶装置に記録しておくものになっているのではないか、と私は思う。

ともすれば、それはやはり知識を記憶していることと同義ではないか、と。少佐の言う「手段」なんてものははなから存在していないではないか。そして、少佐の持っている「知識」とは今現在の私たちよりも膨大な量ではないか、と。

思った所でもう少し考えてみる。

この話の突っ込みどころはつまり、情報もしくは知識は「覚えておくべきか」それとも「引っ張り出してくるべきか」という所。

その二点で考えるならば、少佐の言う「手段があれば量は問題ない」というのは確かにその通りになる。いちいち膨大な量の情報を覚えずとも、それを検索しはじき出すことを知っていれば、問題ない。

劇中では彼らも検索を日夜利用して事件解決に取り組んでいる。

だが、始めに私の言った「知識」とは外部から取り込む「情報」とは少し異なるのだ。

私は「知識」とはオリジナルから自分の中にコピーされた情報であると考える。それはつまり自分の中の思想や思考と言ったものと結びつく上での情報、ということだ。

「知識」と「情報」は同一視できるものなのか。

知識は自分の中で今まで経験され蓄積された情報と重なりあい出来たもので、情報はただ個別に情報として存在しているものにすぎない。だからその情報を取り出すための手段を得た所で、それで十分である、とは言えないと思う。

決定的さは「関連性」の有無にある。自分の中で蓄積された知識は、取り入れるまではただの情報でも、自分の中に入ると、それまでの経験や記憶と重なりあうことで、その情報に関連性が産まれるはずだ。

例えば、新しいドラマを見るとする。それには知っている俳優が出ており、ひ弱な演技を見せ、昔みていたドラマの豪快なキャラクターとは全く違う役柄を演じている。こんな役も出来るのか、と感心し、感想を持つ。そして、その感想は自分の中にそれまであった俳優の情報に関連づけられて、保存される。そしてその感想は、それまでの経験に基づく知識と共に保存されることで、自分の中に「○○という俳優について」というネットワークを築くことが出来る。

そして、その情報を誰かに開示する時。例えば「ひ弱な演技が出来る俳優は?」と聞かれたとする。すると私の中では先ほど関連付けが行われた俳優が思い浮かぶ。そこで思い浮かべられる俳優は人それぞれだろうが、私の中で関連づけられ、感想づけられなけれたとき、私の中での優位性が産まれる。

だが、ただの情報は違うだろう。ネットの検索が最大の例になる。これは少佐の言う「手段」を現代社会で表せば最良の手段だと言える。だが、一つのキーワードでヒット件数は何万件にもなり、絞り込みに必要なワードを入れたつもりでも、必要としている情報がすんなり出てくるとは限らない。ネットには自分の思い描くような情報が、得てして出てこないことが多い。

それはもはや関連づけをインターネットというシステム内にて繋ぎあわされているだけのものにすぎず、情報を検索した所で自分の中の「知識」とは重なりあわなければ、それは意味をなさないものでしかない。

そう考えると、情報を集めるための手段だけを知っていても、どの情報が正しいのか、求めているものかを照らし合わせるには、結局の所、自分自身の「知識」と照らし合わせる必要があり、その最に「情報」と「知識」として保持しておくと、そこからまた新たな情報を得ることが出来るようになる。

だからこそ、「知識」は「情報」よりもあってしかるべきであり、記憶し、持っておくべきものなのだ。手段以前に、知識を持っていなければ何も出来ない。

少佐の場合、外部記憶装置という膨大な知識を持っているからこそ、手段があればそれでイイ、と言い切れるのではないか。自分の中で必要としている情報を簡易に、自分の中の知識と照らし合わせられるからこそ、「知る手段が有れば量は問題じゃ無いと言えるのであると思う。

そして、その台詞を私たちが使うのには、まだ早過ぎるのではないだろうか。





という、つまらない結論に落ち着いた。

でも考えて見ると面白かったので良しとする。
2011.03.25 Fri 「 しぇりるのーむ。えとか。


あたしの歌を聴けぇ!!

というわけで、少し前に描いた奴を色塗ってみました。

久々の色塗りで、なんだか変な感じ。

そこまでき相容れて色塗った訳ではないので、適当です。

とりあえず、後ろをオレンジにしたのをツイッターアイコンに採用。

自分の気分の色がオレンジであると気づいた、今。

2011.02.14 Mon 「 きっとある嫉妬。ふだんの。
きっとくる~♪のは貞子。

やつは井戸からやってくる。

がさごそがさごそと這い上がってくる。

井戸から這い上がってくるシーンを撮るのにスタンバっている貞子を想像すると、なんかクスッときます。

あと井戸の壁を一生懸命登っている様子を考えるとクスッときます。

きませんか?

そうですか。

まあ人生で一度もリングを見たことは無いんですが。

これから先も見ることは無いでしょう。

ええ、非科学的な現象はさけるべきです。

非実在青少年は規制されるべきではないと思いますけれど。

この世の中に溢れる非実在の多いこと!

ゲームの中で素敵に微笑む美少女は非実在!(主にDS)

漫画の中の吸血鬼と波紋は非実在!(だが断る)

小説の中の喋るネズミも非実在!(最終決戦はギャンブル)

テレビの中で素敵な私生活を語るアイドルは非実在!(A●B)

芸人が熱そうにリアクションをとる熱湯風呂も非実在!(脊索動物門鳥綱ダ●ョウ目ダチ●ウ科ダチョ●属倶楽部)

自分のやっていることの正当性を主張する政治家がもつ莫大な貯蓄も非実在!(特にスイス銀行)

大関なんて白星自体が非実在ですよ!(八百長って八百屋が発祥なの?)

恐ろしい、ああ、恐ろしい。

一寸先は闇ではなく、一寸先は非実在!

目に見えないのではなく無かったものにされるのです!

行く末は消滅ですよ!消滅!

目に見えるものが真実でないとわかった今、何を信じて生きていけば良いのかわからなくなる。

私の目の前にはパソコンがありますか?

その横には携帯がありますか?!

今私が飲んでいるのは本当に紅茶なんですか?!?

本当はちょっと薄めのこーひーとかじゃないんですか?!?!

本当と非実在の区別も付けられなくなる!

こんな嘘だらけの世の中で、私は一体何を信じれば良いんですか!

と、路頭をふらふらとあるいていると差し出されるチラシが一枚。

ふと目を上げるとそこには見目麗しい美女が笑顔と共にチラシを差し出しこう語りかけてくる。

「聖教新聞、とりませんか?」

だめです!

それはだめです!

既存宗教ならまだしも、学会という借り名がつけられた新興宗教じゃないですか!

非実在の上にさらに非実在を塗り重ねてどうするんですか!

本末転倒も甚だしいですよ!勘弁してください!

と美女の姿に目を奪われつつもなんとかその場を後にする。

そうしてまた実在と非実在の狭間を渡り歩いていると今度は老紳士が道を塞ぐ。

「ここに書いてある百貨店に行きたいんだけどね、道を教えてくれないかな?」

ああ、なんだ、ただの道案内か、と安心して老紳士がさす目的地の名前を見てみると「大分パルコ」の文字。

非実在じゃないですけどもう実在していませんから!!

申し訳無さげに呟くとしょんぼりとした顔で去っていく老紳士。

ちょっと可愛い。

っは!そんな萌えも非実在ですから!!いい加減にしてください!!

盗んだバイクで走り出す青春を送る訳にも行かず、己の足で走り出す。

坂を下り、路地を曲がり、横断歩道を渡って、歩道橋で世界を眺め、架線下でジュースを飲み、住宅街をひた走り、その先の階段を駆け上がる。

見えて来たのは古びた教会。

ああ、ここが私が求めていた実在する場所なのかもしれない!

古びてはいるが重厚なデザインの扉をおし開くと中には、白いひげを蓄えた白人牧師が一人。

「今日2月14日ハ、聖ウァレンティヌスガ、ローマ皇帝ノ迫害ノモトデ殉教ナサッタ日デース。サア、彼ノタメニ祈リヲ捧ゲマショーウ」

非実在に疑り深くなった私は先日手に入れたスマートフォンでググる。

衝撃の事実。

「ウァレンティヌスの存在自体が怪しくてカトリックでは2月14日は祝日ですらないんですって!?じゃあ一体あなた方は何に対して祈りを捧げているんですかぁ!!」

「ソレハモチローン、我ラガ主デアル、イエス・キリストデース」

それは、それは、言ってはいけないのかもしれないけれど!

「というかそこらへん一帯の神様信仰自体が非実在信仰ですから!!」

と、迂闊に口に出してしまう。

「言ってはならないことを言ってしまいましたね」

周囲に突如現れ黒ずくめの男達に猿ぐつわを噛まされ目隠しをされて連行される。

やめろ、私をどうするんだ!

何処かの名探偵のように薬を飲ませて眼鏡が似合う可愛らしい声の小学生に変身させるつもりか!!

「抵抗するだけ無駄ですよ。あなたには厳しい現実を知ってもらう必要がある」

そう耳元でささやかれ車らしきものにおし込められ何処かへと搬送される。

「さぁ、つきましたよ。ここで現実を学ぶといい」

目隠しと猿ぐつわをほどかれた私が目にしたものは「森永」の二文字。

「ここであなたは働くんです。くる日もくる日も何処かのカップルのために、おいしいチョコレートを作るんですよ」

やめてください!やめてください!

いるかどうかもわからないラブラブカップルのためにチョコレートを作れだなんてそんな酷な話がありますか?!

非実在もここまで来るとすがすがしい!

目に見えない誰かの幸せなんて願えない!

私が作ったチョコレートはもっと違う、何か他の不幸を抱えている人に送られるべきなんです!

それを聞いた黒服が一言。





「ジャア、恵マレナイ子供達ニアゲヨーウ」





ギブミーギブミーチョコレートってGHQですか!!
























落ちてないよ!
2011.02.09 Wed 「 百項の逆行。ふだんの。
流行に乗ることができません。

というか、昨今の流行がわかりません。

本屋に行くとBGMに流行の音楽。

わからない。

テレビをつけると今流行の便利グッズ紹介。

わからない。

ニュースを見ても時事問題にすらついていけない始末。

積雪がひどい?

それって一週間くらい前の別府の話じゃないんですか!?

あの、めっちゃ雪が降った日曜日、山道に積もる雪を原付で駆け抜けたあの日を思い出します。

え、違う。

東北。

九州は関係ない。

わからない。

もし、みなさんが時代という新幹線に乗っているのであれば。

私は進行方向逆の鈍行列車でみなさんの進んで来た軌跡を逆戻りしているようなものです。

世の中に広がる逆向き鈍行列車の多いこと!

日本のみならず、海外も、映画界は古き良きシナリオに縋り付き。

日本のゲーム界は過去の栄光をダウンロード販売してぼろ儲け。

ナンバリングタイトルなんか既に期待されていませんよ!

お笑い芸人がファミコンゲームを遊んで一躍有名になった番組もあれば。

その流行に乗るかのように声優が一昔前のゲームを遊ぶ番組が始まるんです。

そんなニッチな産業情報しか知らない私はもはや実社会に適応しているといっていいのか!?

わかりません。

こんな状況を打破すべく、早寝早起きを実施して、毎朝新聞をコンビニに買いに行くことを日課にしてみようと試みるものの。

はや二日目で起床時間は10時越え。

テレビに縋り付こうとも既に奥様憩いの時間に突入ですよ!

ニュースなんてやってない!

やっているのはニュースの皮をかぶった芸能人の乳くり合っている情報のみ!

いらない!

そんなプライバシー情報いらない!

逆に知って訴えられたら勝ち目無いじゃないですか!

仕方なく、ツイッターのタイムラインを眺めたり、CNNや毎日新聞ニュースを眺める日々が続くんです。

駄目だ!

こんなことでは駄目だ!

このままではまた堕落した生活を送ってしまう結果になることは目に見えている!

呟きに見える、みなさんの輝かしい毎日が目に痛い!

目に痛すぎてサングラスをつけようにもサングラスなんて洒落たものは手元に無い!

仕方なく逃げるように布団をかぶり、自ら陰に引きこもって情報を探り集める毎日。

今日、「もしかしたら私は学校があった方が私として生きていられていたような気がする」と学校という期間に対してタイムテーブル調整の役割を見出してしまう!

それは必要とされていない機能ですから!

誰かに連絡を取ろうといざ携帯電話を片手に考えても。

進み行くカーソルの行方は両親のアドレスをさすばかり!

最終手段に今頼ってどうする!

それもこれも2月3日に豆をまかなかった所為か!

鬼は家、福は外、の状態ですかぁ!

そうして私はまた鈍行列車に乗り込み、既にシーズンを過ぎた節分の豆と恵方巻を買いに行く始末。

「どこかに、豆、恵方巻は売っていませんか」

「あー、シーズン過ぎたからねぇ。一足遅かったよ」

「そ、そんな!それじゃあ家には今年いっぱい鬼しかこないじゃないですか!!」

それは困る、それは困る。

慌てて原付を走らして町中の店という店に顔を出すが、度の店にもおいていない。

「うう、困った、困ったぞ。今年は単位をしっかり取らねば行けないのに、そんな重要な時期に鬼がこられては困るじゃないか」

私の未来に関わる問題です。

切実に。

焦り困惑する私は、街中かけずり回って最後に駆けつけた店に飛び込み、けだるそうにしていた店員に声をかける。

「豆は!豆は売ってないか!」

鬼気迫る私に対して店員は一言。





「豆は無いですが、チョコならあります」





原材料が豆だからってそれはもう別のイベントじゃないですか!!

そうしてまた一日が終わる。
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こっそりひっそりぶろっぐしてます。
Master こうちゃ。
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ってカレンダーの意味じゃなかったっけ?
ぷろふぃーる
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こうちゃ。
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職業:
大学生
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漫画、アニメ、小説にゲーム、ギターとその他。
自己紹介:
ツイッターやってます。
mixiにはほとんどいません。
facebookにもいますけどどう使えばいいかわかりません。
基本ツイッター廃人。

そんな私のツイッターログはこちら
↓↓
http://twilog.org/IroKoutya/asc

残念。
大体そんな感じ。
ついったー。
つぶやいてます。
近況しゃしん。
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最近の。
最近こんなこと書いてました。
じゃんる。
カタカナで書くとジャンヌみたいだね。
けーたいからも。
みちゃいなよ、YOU。
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総決算。