ちなみに卒塔婆(そとば)とは遺体またはお骨を保管する仏舎利を安置するための建築物を簡略化したものであり、あの木の板は仏舎利塔であるらしい。
まあ、簡単に言えばアレもお墓の一種であると考えておけば大丈夫だと思う。
最近は情報を調べるのに検索ばかり利用しているので、出典が事実であるかが怪しいけれど、極めて専門性の高い情報以外は一般教養の部類であると思ってるので、ある程度は信頼を置いています、ウィキペディアさん。
最近人気のリークスさんとの関係がいまいちわからない。
今ざっと見てみたら、関係はなさげな感じだね。。。
政府の情報をリークする事は何か聞こえのいい正義であるようにも思うけれど、度が過ぎた正義は悪にもなりかねないよね。。。
いっこいっこが難しい問題が日々起こっているので、自分の事で手一杯なこうちゃはついていけません。
こうやって一人PCの前でしこしこ後情報を漁るか、偏見に満ちあふれたまとめサイトに突っ込みを入れる毎日であります。
で、今日は言葉についてちょっと思う所があるので日記を書きます。
今書いている作品では、主人公達の武器が言葉です。
そのまんまの意味なんですけど。
まあどんなものなのかはさておき、言葉は意味を持っています。
でもその意味は同じ言葉でも、人や状況、感情、時間によってその意味が変化するモノだと、私は思っています。
もちろん、「あ」とか、1文字の文字は除外しますし、そもそも言葉は意味を複数はらんでいるものです。
私の思うことを具体的な例でしめすと、例えば「核兵器」という言葉があります。
「核兵器」という言葉は日本人にとっては真っ先に畏怖するような存在であると思います。
でも核を所持する国々にとっては、「核兵器」は自身を守るための武器であるのです。
70年代においては戦争発端の原因にもなりかけましたし、でも同時にエネルギー源になりうる要素も持っています。
まあ、後者の場合は名前が変化するので、やはり完全な例とは言いがたいのですが。。。
つまり何をいいたいかというと、言葉はいかようにも変化するという事なのです。
自分では失言でないものが、他人から見れば酷い暴言に聴こえる。
自分の中の言葉を書いても、他人には意味がよく伝わらない。
言葉は万能であると同時に、非常に不安定なものであるのだと思うのです。
何を当たり前な、と思うかもしれないですが、今の言葉が常識となっている世の中でもそれが起こっている、という事実は曲げられないでしょう。
最終的にいってしまえば、「人それぞれ」という72億通りの考えに判断させるしか出来ない、なんて究極的な事にもなりますが。
それを理解させる事が、最近の世の中には必要なのではないでしょうか。
少しはなしがずれますが、都の青少年育成保護法?が可決されました。
アレの内容は性的表現、特に幼児や近親者を相手とする表現をもつ漫画、アニメの規制をおこなうというものです。
このなかに同じ創作物である小説が入っていない理由として、都は「小説の内容判断はいかようにもとらえられるからだ」という回答を提示しています。
私も同意見です。
ですが、それならば「絵」の表現が人それぞれの意味をはらまない、という理由にはなっていないと思います。
確かに、露骨な絵は、ある一定の行為が持つ、一般常識的な意味を持っている事でしょう。
そう言った表現をはらむ漫画が、「一般紙」のなかに登場し始めているという現状もあります。
しかし、青年コミックスとは違い、それが必ずしも異常な問題を引き起こすとは私には思えません。
人によっては苦しい言い訳に聴こえるかもしれませんが、私にはそういう風に描かれた絵も、作者や読者によって異なる解釈があって当然であるように思うのです。
私は漫画を大量に持っています。
そのなかには過激な表現がキャラクター同士の戯れのように描かれているものもあれば、ギャグとして描かれていたり、あるいは心理描写のために描かれている場合もあります。
まあ、中には頭の悪い、青年コミックスと変わりのない内容のものが一般紙に登場しているのもあるので、そこら編は擁護のしようがありませんが。。。
(
ちなみに、この間購入してみた”妄筆ハルネーション”という漫画はひどかったです。エロ漫画のようなもので、内容はほぼ無いに等しいです。若干詳しいはなしもないことはないですが、些細な出来。続きが気になる訳でもなし、書いてる人はエロ漫画上がりの人でしたが、ひどかったです。かねかえせ!)
あ、上のは心の壁を乗り越えて読んでください、おおっぴらに書くとなに言われるかわからないので。
今回は可決されてしまいましたが、その辺の線引きを今後とがどのように続けるのかには、”期待”をもっています。
実質、現行の出版物を都が一気に監査しまかなう事は難しいと思いますし、一定のレベルの規制をおこなったとしても、それは多分出版社レベル止まりになるでしょう。
そして今後も、罰則があってもこういった表現が今の世の中から消えてなくなる事はないと思いますし。
今回の件、都がどの程度までの、”理解方法”を”基準”に仕立て上げるのか、がキモになると思います。
と、言葉の意味の捉え方のはなしをしていたら、タイムリーな話題に飲み込まれてしまいました。
でも、皆さんも一度自分が発した言葉の意味を、ちょっと考えてみると面白いと思います。
見方によっては180度意味が変わる場合もあるでしょう。
どの意味を人が取捨選択するのか。
ことばのそとばはむげんだいであります。
PR